2020年11月29日日曜日

4つのキャンドル


今日から、教会暦では
クリスマスを待ち望む
アドベント(待降節)に入りました。

久しぶりに礼拝に足を運んでくださった方もあり、
再会を喜びました。


祭壇には、4つのろうそくを置き、
今日は、ひとつだけ灯しました。
(といっても、
これは本物のろうそくではなく、
LEDライトの明かりですが…)

これから、一週ごとに、
灯すろうそくを増やしていきます。
そして、クリスマスの日には、
4本すべてのろうそくに
あかりがともされることになります。


ろうそくには、
それぞれ意味があるんですよ。

1本目は預言のキャンドルで、
希望のともし火。

2本目は天使のキャンドルで、
平和のともし火。

3本目は羊飼いのキャンドルで、
喜びのともし火。

最後はベツレヘムのキャンドルで、
のともし火。
 
希望、平和、喜び、愛、
どれもイエスが与えてくれるものです。


 キャンドルに火をともしながら、
希望と平和、喜びと愛のともしびが、
この世界を照らしてくださいますように。

コロナ禍にあって、
困難な中にある方々に
特別な神様の恵みがありますように。
 

2020年11月27日金曜日

アドベントを前に



 
今度の日曜日から、
教会暦では
クリスマスを待ち望む
アドベント(待降節)に
入ります。


今日は、
こひつじルームに来てくれた
お友だちと
クリスマスツリーの
飾り付けをしました。

あっという間の2020年、
残すところ、1か月余りですね。

心温まる
クリスマスを迎えることができますように!


29日は、アドベント第1礼拝。
10:30~11:00

感染予防を行い、
人数制限をして
礼拝を行っています。

教会員でない方も
礼拝に参加できますが、
予約が必要ですので、
教会までお問い合わせください。



2020年11月22日日曜日

十字架がありがたい


 
今日も、礼拝の恵みに感謝!

大病を患い
1か月にわたって
入院しておられた
老姉妹が、
退院なさって、
教会に帰って来られた。

一番前の席で
礼拝に参加しておられる姉妹の姿を見るだけで
胸が熱くなった。

神様の奇跡を目の当たりにし、
僕たちの教会は
大きな喜びに包まれた。

神様、ありがとう!



十字架のもとでは、
すべての人は、平等だ。

だれが偉いとか、
だれが劣っているとか、
そんなことは問題にならない。


十字架を見上げるとき、

自らの小ささ、罪深さを
自覚させられると同時に

こんな僕たちをずっと愛し、
ずっと見守っていてくださる
神の愛の大きさが
胸に押し寄せてくる。

全集中の呼吸で、
「神は愛なり」
と主をほめたたえよう。


~~~~

それにつけても、
私は十字架がありがたい
イエスさまが十字架におかかりになった
ありがたさが
身にしみる。

天下晴れて、
神さまの前に祈ることのできる幸いが
うれしくてならない。

三浦綾子


2020年11月18日水曜日

座右の銘


「艱難汝を玉にす」

長女はどうやら
これを座右の銘としているらしい。

昨晩、食事をしているときに
本人の口から聞いて、
ちょっと驚いてしまった。

いつも間に
こんな言葉を
蓄えていたのだろう??

親というものは
わが子のことを
知っているようで
知らないのだなあと
つくづく実感・・・・


ちなみに、
僕が小学6年生の時にかかげていた
座右の銘は、

「粉骨砕身」。

字がなんとなくかっこいいから、
とりあえず
これを座右の銘にしておこうと
決めたことを
昨日のことのように思い出す。


それはそれとして、

子どもたちが

「艱難汝を玉にす」

この言葉を胸に、
これから直面するであろう
さまざまな困難を
乗り越えていってほしいと思う。


~~~~
ですから私たちは、
さまざまの苦しみや困難に直面した時も
喜ぶことができます。
それによって忍耐を学ぶからです。 
忍耐によって私たちの品性が磨かれ、
さらに、それによって希望が与えられるのです。
こうして、
私たちの希望と信仰は強められ、
どんなことにも動じなくなるのです。

(新約聖書・ローマ5:3-4、LB訳)


2020年11月16日月曜日

神よ、教えてください


神よ、今日の歩みを取り巻く
すべてのことをわたしが用い、
罪の実ではなく、
聖なる実をわたしの内に結ばせることができるよう、
わたしにお教えください。

失望を、待望の種として、
わたしが用いることができますように。
成功を、感謝の種として、
不安を、根気の種として、
危険を、勇気の種として、
人からの批難を、辛抱強さの種として、
人からの称賛を、謙遜の種として、
快楽を、自制の種として、
痛みを、忍耐の種として、
わたしが用いることができますように。

「神よ、教えてください」
 ジョン・ベイリーの祈りより


アンネのバラの冬囲いも終えて、
あとは雪が降るのを待つだけです。

来年の春まで
アンネのバラとも
しばしお別れですね。


 

2020年11月15日日曜日

信じる者には何でもできる

先週のこひつじルームで、子どもたちが作ってくれた芸術作品
松ぼっくりで、一足早いクリスマスツリー♪

 
今日も、
教会に集まってくださった皆さん、
中継で参加してくださった皆さんと一緒に、
礼拝をささげることができて
感謝!


「『できれば』と言うか。
信じる者には何でもできる。」

マルコによる福音書 9章23節


このイエスの言葉から、
信じることがもたらす
偉大な力について
お話をした。

大人になるにつれて
まっすぐに信じることが
難しくなっていくような気がするのは
僕だけだろうか。


イエスは、
繰り返し繰り返し、
信ずることの偉大さを語られた。

信じる心、

それは、
人間に与えられている
神様からの賜物。


絶対に裏切らない
イエス・キリストを
僕も、
まっすぐな心で
信じ続ける
求道者でありたいと思う。


2020年11月11日水曜日

ひとたび天から降れば



朝起きると、
一面銀世界!

10センチほど
しっかり積もっていました。

うれしくて、
解けるのが分かっているのに
ちょっと雪かきしてみたり、
所用で出かけるときも
長靴を履いて
歩いて出かけてみたり、

久しぶりの雪の感触を
楽しんでいました。

今日のフォトは、
歩道で見つけた
秋と冬のコラボレーション。



調べてみると、
聖書(新共同訳)には、
「雪」という言葉が
14回出て来ます。

たったの14回??

と思いましたが、
今日は、
僕が大切にしている
旧約聖書の言葉から。



雨もも、
ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、
芽を出させ、
生い茂らせ

種蒔く人には種を与え
食べる人には糧を与える。

そのように、

わたし(神様)の口から出る
わたしの言葉も
むなしくは、
わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

~旧約聖書・イザヤ書55:10-11~



 

2020年11月9日月曜日

一人のこどもを


こどもが
一人も
ほほえまなくなったら

世界は
たちまち闇になる
人類は ちっそくする

一人のこどもを
悲しますな 泣かすな


河野進詩集『闇』より



毎年、
この時期には、
礼拝の中で
子ども祝福の祈りを
することにしている。

祭壇の前に
ずらりと並ぶ子どもたちの姿は
なんとも微笑ましい。


今年は子どもたちも
教会に集まることができず、
カメラ越しで
祈りを届けた。


かけがえのない
子どもたち一人一人が、
神様と多くの人の愛に包まれて
ほほえみを絶やすことが
ありませんように!

2020年11月7日土曜日

素朴な琴


 この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだらう

クリスチャン詩人 八木重吉


今日の読売新聞の「編集手帳」で
この詩が紹介されていた。

研ぎ澄まされた感性、
逆立ちしたって
僕にはこんな詩は書けないと
ため息が漏れてしまう。


今日は立冬。

暦の上では冬の始まりだが、
コートが必要ないほどの
暖かさだったので、
時間の合間を見て、
アンネのバラの
剪定と肥料やりをした。


短い秋も終わろうとしているが、
今年も、秋の美しさを
味わうことができたこと、
神様に感謝だ。


明日は礼拝の日。
札幌では感染の拡大が深刻だが、
こういう時だからこそ、
礼拝の時間を大切にしたい。




2020年11月4日水曜日

初雪


 今日は
寒い一日でしたね。

早天祈祷会を終えて、
外を見ると、
白くて美しいものが舞っていたので、
思わず写真におさめました。


初雪・・・


毎年ですが、
久しぶりに
友人に会ったような
懐かしさ、
うれしさで
ちょっと興奮してしまいます。
(僕だけ??)


しばらくは
秋と冬の綱引きが続きそうですが、
皆さま、体調管理には
お気をつけくださいね。

2020年11月1日日曜日

毎日が十字架

 

今年も庭のアルストロメリアがよく咲いてくれました



今日から、11月。
人数制限しつつ、
礼拝を持つことができて、
感謝だった。

礼拝では、
ルカ福音書9章21~27節から
「毎日が十字架」とテーマで
お話をした。


キリストは、
「わたしについて来たい者は、
自分を捨て、
日々、自分の十字架を背負って
わたしに従いなさい」
と、僕たちを招かれる。

僕たちには、
毎日、背負うべき十字架がある。

それは時につらく、苦しく、重いもの。
でも、十字架を背負うことで
見えてくる恵みの世界があるからこそ、
キリストはこのように言われたのだろう。


水野源三さんの詩は、
どれも本当に心に沁みるが、
この詩は、その恵みの世界を詠っていると思う。


「悲しみよ、ありがとう」


悲しみよ、悲しみよ、
本当にありがとう。

お前が来なかったら 
つよくなかったなら 
私は今どうなったか 

悲しみよ 悲しみよ 
お前が私を 
この世にはない 
大きな喜びがある 
かわらない平安がある 
主イエス様のみもとに 
つれて来てくれたのだ

春の訪れを実感

  教会の庭に、 春の訪れを告げる クロッカスが咲きました。 これを見ると、 春が来たことを実感しますね~ これから、だんだんと、 お庭が彩り豊かになっていくのが 楽しみです♪